愛知県の田舎の祖父母のお葬式は、集会所や葬儀会館ではなく、自宅で行うものでした。
祖父母は長男家族と同居していてわりに大きな家に住んでいたので、お客さんの出入りするには不自由しませんでした。しかしこの家の女性陣は本当に大変!長男のお嫁さんが主に仕切るのですが、それこそ蝋燭の番から寝るヒマないほど忙しそうでした。当時私は大学生でお嫁さんは伯母に当たりますが、私でさえお茶くみや掃除に追われ寝不足でした。近所の奥さん達(とりもちさんと呼んでました)が手伝いにきて炊き出しみたいなご飯作ってくれるのですが、そのとりもちさん達が作業しやすい様にキッチンを片付けなくてはなりません。お通夜でクタクタになってとりもちさんが帰ったら、すぐキッチンの掃除でした。伯母は綺麗好きな人でしたので尚更です。友引が近かったせいかお通夜が2晩あり、お葬式と合わせて3日間とりもちさんは来ました。
お葬式の日は喪主である叔父さんは、切腹しそうな白装束を着て行列の先頭に立ちました。お葬式の挨拶で叔父さんは『母はこの町をほとんど出た事がなく、なーんも楽しいことのない人生でした』と言い、ヒドイこと言うなーと思ったのですが、近所のお婆さんやとりもちさんを始め、妹である私の母も、その挨拶に痛く感動していた事を今でもよく覚えています。叔父さんの正直で飾らない言葉に感動したのだと思います。